7月31日(水)、校外人権学習として希望した中町中学校生徒13名、引率教員4名で岡山県の長島愛生園に行ってきました。
長島愛生園はハンセン病患者の方々の元隔離施設であり現在は病院と療養そしてその歴史を学ぶことの出来る施設です。
世界文化遺産も視野に入れておられ、ハンセン病患者に対する厳しい差別の現実や患者に対する理解を目指しておられる施設となっています。
この日は、そういった現状を一日かけて子どもたちに丁寧に説明していただきました。
まずは施設担当の方より、ハンセン病の歴史について、ハンセン病という病気について、ハンセン病の特効薬について、ハンセン病患者が差別を受けてきた状況について、そして差別と戦ってこられた歴史等について話をしていただきました。
お話が終わり、ハンセン病歴史館で時間をかけて見学した後、ハンセン病に対する差別の厳しさを訴えておられる方のDVDを視聴させていただきました。
その後、ハンセン病患者が隔離されるために連れてこられた患者収容桟橋、収容所跡、監房跡、納骨堂と実際に歩いて現場で説明を聞きながら見学をしました。
そして午後からお話を聞く会場に着いて昼食をとりました。
午後からは、10歳の時にハンセン病と診断され、強制的にこの長島愛生園に連れてこられて、それ以来、外で暮らすこと無くここで73年間暮らしておられる明石市出身の語り部で現在83歳のIさんからお話を聴かせていただきました。
・ハンセン病は当時、癩(らい)病といわれていて、この病気になると直らない不治の病と恐れられていたこと
・ハンセン病(らい病)患者を見つけようと警察が目を光らせていたこと
・警察に見つかり、長島愛生園に連れてこられ、収容所でクレゾール消毒風呂に入れられ、番号を持って裸の写真を撮られ、そこで1週間過ごした後、寮に移った後も厳しい生活を強いられたこと
・小学部、中学部で学んだ時の学校の先生はハンセン病患者の中から選ばれて教えてもらったこと
・ハンセン病の症状は乾性と湿性があり口がいがんだり手足が曲がったり汗が出ない、皮膚に腫れ物ができるなどいろいろな症状があること
・島での生活は主に農作業であること、中でも一番大変なのが家畜を飼うこと
・自分の子どもがハンセン病になると村人からその家の人みんなが差別されていたこと
・プロミンという特効薬が出てきて治る病気になって少し世間の理解が進んでからは一時帰省もできるようになったこと
・これまでに6500人ほどの方がお亡くなりになられ、自分が産まれたところでは無く納骨堂で眠っておられること
今は148名が長島愛生園で暮らしておられ、そのうち100名ほどは要介護の状態であること
・長島愛生園におられる方は後遺症は残っているものの、現在ハンセン病自体は全員完治しておられること
などなど、
生徒の質問内容に合わせて、すべて答えていただきました。
最後に、「親孝行できずに両親に先立たれたが、両親に恥ずかしくない生き方をしています!」と胸を張ってお話しいただいたIさんの言葉に、改めてIさんの誠実さを感じました。
そして、誇りをもって今も生きてハンセン病理解のために講演をはじめとするボランティア活動に取り組んでおられるIさんの生き方に感動しました。
朝9時30から15時まで長島愛生園にいて、ほとんど学習時間ばかりで長い一日でしたが、13人の生徒たちも一生懸命に考え、質問し、学んでいました。
生徒たちだけでなく引率の教員自身も学びの多い人権学習の一日になりました。
ハンセン病歴史館に入ります!
元患者の方が作られた長島愛生園の模型!
当時のクレゾール消毒風呂!
語り部のIさんのお話!