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【 たか歩き/013 】PAGOT・堀井悠次さんインタビュー「小さな決意.1」(2021年1月12日)

地域おこし協力隊がカメラ片手に多可町を歩き、その様子をリポします

はじめに


ファッションモールや大型店舗に行けば、最新アイテムがズラリ。色や形はバラエティに富み、かつ洒脱です。 

 今風のファッションが安価に、誰でも楽しめるようになりました。そんな時代に「長きにわたり培われてきた技術が消えかけている」と話すのが堀井悠次さん。兵庫県西脇市の店舗兼アトリエで、鞄を中心とした革製品を製作する職人です。

 堀井さんは2020年11月末、クラウドファンディング※を立ち上げました。テーマは「播州織の廃棄生地」と「その行く先」。革を扱う職人が、なぜ播州織をテーマにしたのか気になり、さっそく取材を申し込むと ―― 

 「西脇は100点。完全に好きです」「1年で2年分やる」「今日が全盛期」など、情熱むき出しの発言が連続。
 もの作りや活動をする人であれば、触発されること請け合いのインタビュー、前編・後編でお届けします。


 ※クラウドファンディング:インターネット上で不特定多数の人々から資金を調達する仕組み。
 サービス・システム・運営サイトは多岐に渡るが、基本的には「起案者」が新しいサービスや製品などを提案(プロジェクト)し、賛同したユーザーが寄付をする。
 クラウドファンディングの特徴は、寄付額に応じた返礼品=リターン。寄付をしたユーザーは考案者が用意したイベントの参加チケットやオリジナルグッズ、新商品、新製品の先行購入権などリターン品を受け取る。


 

プロフィール


堀井悠次(Horii Yuji)
平成元年生まれ。大学卒業後、商社に就職するもモノづくりへの道が諦められず職人の世界へ。26歳で鞄職人として独立。2017年自身のブランドPAGOT(パゴット) をスタートさせる。現在は3人の子どもと一緒に西脇での生活を満喫している。










 

about

目次

・「好き」な気持ちに甘えた学生時代
・期待のホープ、3ヶ月で退社する
・最大の失敗
・PAGOTを立ち上げて
 

インタビュー

「好き」な気持ちに甘えた学生時代



 「結婚式、新郎として挨拶するじゃないですか。僕、出席くださった方々にお願いしたんですよ」
 
 なにを?と思った瞬間でした。

 「仕事ください!って」

 仕事……?!

 「ええ、式の前日に会社が潰れて」と笑う堀井さん。シュッとした体形と小粋な出で立ち、気骨を感じさせる工房空間 ―― BGMのモダンジャズが堀井さんのポリシーのように響きます。

 そのセンスやファッションは「兄の影響」と堀井さん。幼いころから、お兄さんが読んでいたファッション系の雑誌を読み込み、「お年玉を全額つぎこみ、服を買っていました。このときの経験が、いまの創作のベースですね」と振り返られます。
 
 さぞかし、文化的な少年だったのだろう……と思いきや、「部活は陸上。中学から大学まで、競技として真剣に続けました」と堀井さん。
 
 「僕が行った関西大学は当時、陸上の強豪。インカレで上位を狙ったり、実業団を目指したりする選手がいました。
 ただ、僕の記録は6m前半。中学生レベルです。仲間から『その程度の記録で……なんで大学の陸上部?』と聞かれることもありました(笑)」と堀井さん。でも、視線の奥に揺るぎないものを感じさせます。


 


 「好き。幅跳びが好き。その気持ちだけでした。がむしゃらだった。でも……それじゃダメだったんですよね」

 それではダメ……? 記録が上向かなくても、一途に打ち込んだ競技人生のどこに悔いが……? 堀井さんに訊ねると表情が一変。

 「好きだから頑張るって……聞こえはいいですよね。でも僕の場合、好きな気持ちを楽しんでいただけ。競技生活を送るにあたって、突き詰めるべきポイントなんていくらでもあったのに、それに気づけず、やみくもに飛んでいた。
 そんな自分に気づけたのは……競技生活の最終盤、大学4年の頃でした」


 

期待のホープ、3ヶ月で退社する



 「『好き』をやっていくにしても、具体性や数値を細かに見ていかなきゃならない。
 あのときの自覚があるから、いまでも、大好きなカバン作りにこだわりながら、経営者として数字や売り上げを追及できます。
 幅跳び選手としてはちょっと……気づくのが遅かったんですが(笑)」

 そもそも、教員になるつもりだった堀井さん。しかし、大学2年生の頃、憧れてきた服飾の世界に志望を変えられます。

 「素材を手がけ、縁の下から業界を支えたくて、商社を選びました」

 将来のエース候補が集結する部署に配属され、経営陣からの期待も高かったのだとか。

 ところが……です。

 「入社して3ヵ月くらいですかね、たまたま出会った染め物の職人がかっこよく見えて。そのとき『俺は素材を扱うんじゃなく、作りながら生きたいんだ』と悟ってしまい……商社マン、続けられないですよね(笑)」

 職人として生きていくことを考えたとき、「まず靴と鞄が思い浮かんだ」と振り返る堀井さん。

 「どちらもずっと好きで、こだわりがあったアイテム。神戸や京都、大阪に出かけ、職人さんから話を聞いていくうち、鞄職人としてやっていく自分がイメージ出来たことで、道が決まりました」

 こうして鞄職人を目指し、会社には退職を願い出た堀井さん。

 「同僚や上司から猛反対を受けました。でも、気持ちは揺らがなかった。以前から『ここの鞄は抜群にいい』と思っていた会社があったので、そこに押しかけて(笑)」


 


 「担当者に言われましたよ。『無理だよ堀井君……って、まさか? まさか商社……やめてないよね?』って。見透かされた通り、その時点で辞めてました(笑)あのときは本当に困らせたと思います」

 社会人の皆さんには言わずもがなですが、面識がない企業に飛び込み、「雇ってほしい」と言っても、応じてくれるケースは……とても少ないですよね。

 堀井さんが直談判した担当者にしても「採用はしない。できない」と首を縦に振らなかったそうです。でも、「なんでもします。入れてください」と思いをぶつけ ―― どこまでも結びつきそうにない、この会話。一体どうなるのかと、はらはらしながら聞いていると……

 「社内勤めの職人さんが、間に入ってくれたんです。僕らのやりとりを聞いてくれたみたいで、『こんなに根性がある若いヤツ、なかなかいないですよ』と後押ししてくれて」

 思わぬ援護射撃により、入社できた堀井さん。しかも幸運が続いたそうです。

 「基本的にバッグの製造は分業制。1社で完結するのは珍しいんですが、僕が入った会社は材料の下準備や加工、販売、広報、売り上げや経費の管理……すべて自社で行っていた。素材について学べて、ミシンが使えて、売上や経費など数字も見られて……この上ない環境でしたね」

 でも1年後、会社は倒産。しかも結婚式の前日に ―― 

 「『いずれ独立する』と腹を括っていたし、妻にしても大学の陸上部から一緒で、僕のことをよく分かってくれてるので、新婚生活も大丈夫(笑)
 ただ、新郎が挨拶の中で『職を失いました。仕事ください』なんて、さすがに来賓の方々はざわざわしてました(笑)『大丈夫か……?』って」


 


 その後、堀井さんは紳士カバンを製造する会社に入社。「1年間で2年分やる」と覚悟を決め、またたく間に業務を習得します。「任される仕事も増えた」けれど、それでは飽き足らず、2年目には自宅用のミシンを買ったのだとか。
 
 「職場とは別に、個人的に営業に出て、仕事を受け始めたのがこの頃です。
 朝から夜は職場、夜中は下請けの仕事……徹夜が続く時期もありながら、辛くはなかった。『カバン作りがホンマに好きなんやなー』と実感する日々でした」

 そこで「ただ……」と言い淀んだ堀井さん。向かいのテーブルで作業を行う妻・紗由里さんを見て、こう言いました。

 「一度、ビシッと叱られたことがあるんです(笑)」


 

最大の失敗



 PAGOT(パゴット) は堀井さんのブランドです。オリジナル製品を製造・販売し、店舗も経営。SNSなど情報発信も活発です。これら、多岐に渡る業務を並行できるのは、二人三脚だから。

 新作のアイデアや運営コンセプト、販売・営業・経理、棚づくり ―― あらゆる業務をご夫婦で連携。そんな2人の関係は、堀井さんが昼夜問わず働いた、20代半ばにも見て取れます。


 


 「当時は会社で技術を覚えて、フリーの仕事で成果を出して、遣り甲斐ばかりの日々でした。
 でも……時々、『忙し過ぎる』とか、『もっと稼ぎたい』とか愚痴が出て、妻に怒られたんです。『好きなことをしてるんだから、愚痴はアカン!』って。
 それで、なんで愚痴が出るのか考えて……僕の場合、納得してないからだったんですよね。だから、『これからは納得した仕事する』と決めました」

 決意を新たにした堀井さん。26歳で独立し、某有名ブランドの案件も受け、経営は順調だったそうです。

 しかし ―― 

 「ある案件で、やったことのない仕様の案件を頂いたんです。『まあ、なんとかなるだろう』と思って、取り掛かかり、一通り仕上げたんですが……」

 納品後、電話が鳴りました。相手は取引先の責任者です。

 「堀井君、全部だめだよ」

 この出来事を、「忘れられない」と堀井さん。
 
 「納品した鞄、『すべてが出来てない、不出来、NGだよ』と。しかも、先方は独立初期からお世話になった会社の社長……そんな恩人に対し、俺は一体、なにをやったんだ……と。
 原因は1つ、はっきりしています。作ったことがない仕様だったのだから、聞きにいくべきだったんです、社長に。行けば絶対に教えてくれた。僕は、そのためのほんの僅かな……数分、数十分を惜しんで、目の前の製作にかまけたんです。
 モノづくりが好きで始めた仕事なのに、とにかく数をやろう、ササっと納品しよう……いつの間にか効率重視に傾いていたかもしれません。
 しかも、僕のガタガタな仕事を、先方の職人さんが直してくれた。直させてしまった。依頼された100本……全部。情けなかった。鞄作りを始め、独立して今に至るまで……最大の後悔です」

 依頼主に見切られるどころか、賠償請求があってもおかしくない、大失態。堀井さんも覚悟します。

 「でも……注意も叱責もなく、ただ、聞かれたんです。『堀井君、今回の仕事は、君の100%? 納得してるの?』と」

 かつて、紗由里さんに愚痴を注意されたとき、肝に銘じた『自分が納得できる仕事』。
 この信条さえ、おろそかになっていたことを、ほかでもない恩人に言い当てられたショックは、どれほどだったのでしょう。

 堀井さんは、戒めを込めた口調で「変わりました」と言いました。

 「今は『今日が全盛期』と断言できます。それは日々、一生懸命に仕事をしてるから。『昨日の俺より、今日の俺のほうが強い』に決まっている(笑)
 こう言い切れるのも、社長のおかげです。あのとき見守ってくれなければ、変われなかった気がします。縁と運のおかげですね」


 

PAGOTを立ち上げて



​ 西脇に移住してからも地道に、精力的に制作を続けた堀井さん。2020年11月、クラウドファンディングを立ち上げました。ただ、そのテーマは「播州織の廃棄生地とその行く先」。鞄や革、店舗PRではなく……なぜ播州織?

 「第一に、播州織が好きだからですね」と堀井さん。

 「徹底的にハマったファンの1人として、播州織の存在を沢山の人に知ってほしい。広まったら嬉しい。そんな気持ちです」

 
©PAGOT PAGOTの鞄を象徴するチェック柄、この生地も播州織だ。


 「大阪に居た頃は革を使っていたのですが、西脇に来たからには播州織が使いたかった。
 ただ、僕が使ってきたのは厚手の革。播州織といえばシャツやストール、ハンカチ……薄手の製品が多いですよね。厚手の生地を探し始めたけれど、相談に行っても厚さが無理だったり、機械がなかったりしました。
 そんな折り、市役所の職員さんに紹介いただいた泰久商店さんが引き受けてくれました。『昔は厚手の生地も織っていた。やってみるよ』と」


 
株式会社泰久商店はクラウドファンディングに廃棄生地を提供。小円織物有限会社植山織物株式も趣旨に賛同し、「3社のご協力がなければ成り立たなかった」と堀井さん。


 

>>インタビュー後編はこちら<<


 


開催中のクラウドファンディング

『【播州織×若手鞄職人】廃棄生地の行く先を考えるアップサイクルバッグ』
 
 

連載【 たか歩き 】

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取材・撮影・執筆:黒川直樹(多可町地域おこし協力隊(たかおこし隊) )

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