こんにちは。たかおこし隊の黒川です。
いきなりの質問ですが、重たい荷物を背負って歩いたこと、ありますよね? 何kgぐらいでしたか?
ぼくは最も重かった荷物が10㎏程度。撮影機材を身に付けて山を登ったのですが、慣れない重さで消耗が激しく、体の節々が軋みました。
新しいウォーキングコース
今日のレポートは山歩き。場所は光竜寺山城跡です。
地元の方なら「あー、あそこね」という感じでしょうか? ぼくは時々散歩していましたが、名前(があること)は知りませんでした。
地点は八千代区中野間。エアレーベン八千代の西側に広がる山林が光竜寺山城跡(トンダ山)です。
この隘路を今回、多可の森健康協会が新コースに定め、整備を開始。
ウォーキング環境をチェックするガイドさんや北はりま森林組合の職人さん、たかぎウォーキング力也隊員に同行しました。
エアレーベン八千代の北側にある入口から登ると、5分くらいは、なかなかきつい勾配です。しかも山肌を蛇行……体幹が刺激されます。
いまでこそ草が遮り、枯れ木が倒れ、段鼻の木材も腐った道ですが、もともとは歩きやすく整えられていた模様。
ガイド一行はコケにまみれた看板を拾いながら、心拍数の計測値(休憩ポイント)に竹の杭を打ち込みます。
20分、30分も登るとようやく一息。目の前に拓けるのが幅約24m、長さ約50mの本丸跡です。
ガイドさんたちの輪から「ここか二の丸跡で、長い休憩をしましょうか」という声が聞こえます。
時は戦国時代 ―― この山城跡には野間川を挟んだ向かい、野間山城に隠れていた姫が落城に際し、「馬に跨って対岸の光竜寺山城に飛んだ」※という伝説もあるのだとか。
※「トンダ山」の語源という一説も
直線で800mを超える山頂と山頂、そこを天翔けるとは姫が天女だったのか、馬が天の遣いだったのか? はたまたそのどちらもだったのか……
ぼくはおそらく人間なので、超常現象を再現する術は持ちません。ただ、山城を落とさんと軍勢が土ぼこりをあげて迫ったり、生き死にを賭けた武士の攻防があったりしたことは史実です。
侍の甲冑は20kgぐらいはあったといいます。足軽にしても兜や刀、槍を身に着け、水と食料を運びながら数十キロを行軍。馬に乗れたのは偉い侍だけですよね。運よく生き延びても、行きと同じだけの距離を帰らなければならなかった。傷だらけの体から、渇かない血を流しながら。
この城跡も戦舞台。そんな歴史の上に立っているんだなあと夢見ていたら胸が震え、息がぜいぜい……腿や膝がガクつき始めました。
感性の仕業ではなく、体力の限界です。
この日は2㎏に満たない撮影機材しか身に付けていなかったのに、あぁ情けなや。足軽なら行軍から逃げ出すことさえ叶いません、ぜいぜいぜい。
13:30の集合から始まった新コース整備。気づけば荒い山道をびっちり往復し、事務所に戻ったのは16時過ぎでした。
ウォーキングコースとしては「だいたい90分、8000歩くらいかな」と、たかぎ隊員。
大人の背丈をゆうに超える草木に分け入り、勾配を踏みしめながら、北播磨の歴史に思い馳せる山城跡コース。
お披露目の日程は未定らしいですが、待ち遠しいですね。
▼光竜寺山城跡の歴史にも触れる動画
「多可の里風土記 極楽寺と野間城」
(2021年3月24日)